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アメリカ時代 熊楠は1886年(明治19)12月22日、横浜から渡米の途についた。 これより前、親友羽山繁太郎に贈った写真の裏に、「僕も是から勉強をつんで、洋行すましたその後は、ふるあめりかを跡に見て、晴る日の本立ち帰り、一大事業をなした後、天下の男といはれたい」と、その決意の程を記している。 翌1887年(明治20)1月7日、サンフランシスコに着き、まもなくパシフィック・ビジネス・カレッジ(商業学校)に入学したが、8月にランシングに行き、ミシガン州立農学校に転入。翌年11月、寄宿舎で学友らとウィスキーを飲み、校長に発見され問題となった。熊楠は責任を一人で負い、翌早朝農学校を去りアナーバーに移った。 アナーバーには優秀な人材が集まった州立大学があり、熊楠は学生らと大いに交遊したが、自分は学校には入らず、独学で勉強し、しきりに山野を歩き植物採集に励んだ。とくに菌類や地衣(こけ)類のような隠花植物に関心を強めた。 そして、1889年(明治22)10月、近代生物学の中興と言われるスイスの大博学者『コンラ−ド・フォン・ゲスネル伝』を読み、「日本のゲスネルとなろう」と心に誓った。このことが、生涯の方向として熊楠が歩み続けることになるのである。 また、文通上の知人、地衣採集家のカルキンスよりフロリダにはアメリカの学者の知らない植物が多いと聞き、1891年(明治24)4月、同州ジャクソンビルに行き、3ヵ月余り熱心に植物・動物などの採集活動を行なった。キーウエストでも採集を行った後、9月中旬キューバ島のハバナに向かった。 ハバナでは、サーカス団に加わっていた日本人に出会い、しばらく行動を共にし、西インド諸島の各地を回り各種の生物、とくに珍しい菌類や地衣類を採集したのである。 1892年(明治25)1月、ジャクソンビルに戻り、そこでフロリダやキューバなどで採集した植物を、夏までかかって整理した。 8月、かねてから渡英することに決めていた熊楠は、ニューヨークに行き、9月14日シティ・オブ・ニューヨーク号に乗船した。 アメリカ滞在は6年であった。 |
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| ロンドン時代 1892年(明治25)9月21日、イギリスのリバプール港に到着し、熊楠は首都ロンドンに入り、南方家と古くからの知り合いである横浜正金銀行ロンドン支店長の中井芳楠を訪ね、そこで弟常楠の手紙を受け取り、父の死去を知り、強い衝撃を受けた。 1893年8月17日、英国第一の科学雑誌『ネイチャー』に 「星宿構成に関する5条」の質問を見出し、答文「極東の星座」を寄稿をすることとなる。このとき、片岡プリンスという東洋骨董商は熊楠の博識の異常さに気付き、大英博物館の考古学・民俗学部長に紹介し、熊楠は博物館に出入りするようになった。 「極東の星座」は一躍有名になり、識者に名を知られるようになった。以後、しばしば同誌に論文を発表し、更に随筆問答雑誌『ノーツ・アンド・クィアリーズ』にも寄稿を始め、東洋学の権威者としてその名を馳せた。 大英博物館には毎日のように通って、収蔵されている古今東西の書物を読みふけり、厚いノートに筆写した。そのノート類は、52冊もあり、「ロンドン抜書(ぬきがき)」として今も南方熊楠記念館に大切に保存されている。また、同館の書籍目録の作成や仏像の名称の考証などを手伝ったりもした。これには、幼少のころから古典や百科事典に親しみ、厖大の数の書籍を読み写したことによって、蓄えられた知識が役立ったことであろう。 ロンドンでのことで特筆したいのは、中国革命の父といわれる孫文(そんぶん)と知り合ったことである。1897年(明治30)3月、大英博物館で出会った2人は、たちまち意気投合し、毎日のように行き来して親交を深めた。しかし、2人の交遊はわずか4ヵ月で終り、孫文はロンドンを出発して東洋に向かった。 また、土宜法竜(後年高野山管長)とは、中井芳楠の家で出会った。 年上の土宜とは最も心を許しあい、生涯書簡の交流が続くこととなる。 熊楠は、東洋人だということでさげすまれるような事もあって幾度となくトラブルを起こし、1898年(明治31)12月、ついに大英博物館を去らねばならぬことになった。 日本からの送金も途絶えがちで、ケンブリッジかオックスフォ−ド大学に日本学講座が設けられて、助教授になれるかとも期待していたが、その講座は開設されず、ついには1900年9月1日、熊楠は8年間過ごしたイギリスを失意のうちに離れ帰国の途についた。 |
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