人柱の話

こんにちは閑話猿です。

上富田町での調査の続きです。上富田町生馬には彦五郎堤(彦五郎公演)があります。ここには治水のために人柱となった人物の碑があります。碑には「彦五郎」とありますが、一説には「彦蔵」「五郎」の2名が犠牲になったというものもあります。

こうした人柱に関する話は、南方熊楠も論考を書いており、『続南方随筆』や平凡社版『南方熊楠全集』第2巻に収録されています。世界各国様々な人身御供の事例を列挙していますが、彦五郎堤のことは触れられていませんでした。

 

また、彦五郎堤より上流へ行くと庚申松(人助け松)の碑がありました。明治22年(1889年)の大洪水の際に、当時ここにあった松につかまって人命が救われたようです。今の富田川の様子からはちょっと想像がつきませんでした。