遠き島より

こんにちは閑話猿です。

番所山の北浜にヤシの実が流れ着いていました。どこから流れ着いたのでしょうか。

かつて柳田國男は『海上の道』で漂着した椰子の実を見つけたことを記しています。そしてこのヤシの実発見を島崎藤村へ漂着したヤシの実を伝えると藤村は、「名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ」で始まる詩を書きます。

熊楠は1926(大正15)年の『民族』へ「椰子に関する旧伝一則」(平凡社版全集 3巻573~581頁)を発表しています。

熊楠は幼少期(9歳頃)のことをふりかえり「節用集の動物門に海髑子と書いてヤシと振仮名しておったが、何のこととも分からず」と書いています。

また日本にヤシが流れ着くこともあるため、どの時代から認識されていたのかを考察しています。「綱吉将軍の時にできた『大和本草』にその条なく、付録一に至って、海椰子は「海中に生ずるところの藻の実なり」」とあること、インドでは椰子をスリ神(弁財天)の好物になっているが、日本の仏教ではそのようなことは無いらしいことなどを挙げています。

 

さて改めてヤシの実に「どこから来たの?」と聞いてみます。