岩田神社の獅子舞をみてきました

こんにちは閑話猿です。

11月23日(木・勤労感謝の日)に上富田町で行われた岩田神社の獅子舞をみてきました。ここは、神社合祀をされており旧名は「松本神社」と呼ばれていました。熊楠が松村任三宛に書いた書簡、所謂『南方二書』においてもこの神社の合祀について書かれています。

例の一村一社の制に基づき、松本神社とて大字岩田の御役場のじき向かいなる小社、もとは炭焼き男の庭中の鎮守祠たりしものを炭焼き男の姓を採りて松本神社と名づけ、それへ合社し、跡のシイノキ林を濫伐して村長、村吏等が私利をとらんと計り(中略)(村人が)小生方へ二、三度言い訴え来る。よって小生このことを論文じて大いに村長をやりこめ、合祀の難をのがれ今日まで(1911(明治44)年8月29日)も存立しおる。小生みずから走り行き、役場員が呆れ見る前で写真とり(以下略)

しかし1915(大正4)年には合祀され、松本神社から「岩田神社」へ改称されます。その後昭和30年代に上富田町出身の稲田米花が岩田神社の復社運動を行い、稲葉根王子(旧岩田神社)へ分霊を行いました。

獅子舞は最初に稲葉根王子(旧岩田神社)へ挨拶をしたのちに、岩田神社へ奉納されています。