生物学者であった昭和天皇は、皇太子時代から粘菌にも関心をもたれ、熊楠の存在を知っていた。熊楠は、陛下のご要望に応えて、小畔四郎らとともに大正15年(1926)、粘菌37属90点の標本を進献している。

昭和4年(1929)、御進講の打診があった。同年6月1日、正装のフロックコートを着用した熊楠は、神島で陛下をお迎えした後、御召艦「長門」の艦上にて約25分間、田辺湾の生物について御進講を行った。「ウガ」など珍しい生物の標本を多数、ミルクキャラメルの大箱に入れて持参したことが伝わっている。

熊楠にとって、この日は生涯で最も晴れがましい日となった。翌年(1930)には、神島に行幸記念碑が建立され、熊楠はこの島の森が末永く保たれることを願った和歌を詠み、石碑の文字も、自ら筆をとった。

一枝もこゝろして吹け沖つ風 わが天皇のめでましゝ森ぞ

昭和37年(1962)、再度の行幸の折りに、昭和天皇は熊楠を偲ぶ和歌を詠まれた。

雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ

この御製を刻んだ碑は、神島を望む、南方熊楠記念館の前に建立されている。

<strong>献上粘菌とキャラメル箱</strong><br> 熊楠は、110点の粘菌標本を進献している。標本を厚めの紙に貼りつけ、左右を折り曲げて小箱に入れる。厚紙には、学術名・採取年月・採取地・採集者が表記されている。<br> 御進講の際の天覧標本は、キャラメルの大箱に入っていたと言われている。
献上粘菌とキャラメル箱

<strong>フロックコート</strong><br> 昭和4年(1929)6月1日、昭和天皇への御進講の際に着用した、フロックコート。<br> 普段はほとんど浴衣姿の軽装を好んだ熊楠だが、この時は仕立て直したフロックコートに身を包み、正装にて御進講にあたった。
フロックコート

<strong>昭和天皇陛下御製記念碑</strong><br>1962年(昭和37年)5月、昭和天皇・皇后両陛下が南紀行幸啓の際に神島を望見され、在りし日の熊楠を偲びこのお歌を詠まれた。<br>この碑は南方熊楠記念館の前に建立されている。
昭和天皇陛下御製記念碑