杉村楚人冠記念館へ行ってきました。

こんにちは閑話猿です。

8月後半に千葉県我孫子市にある杉村楚人冠記念館へ行ってきました。

杉村楚人冠は和歌山県和歌山市出身で本名は広太郎といいます。熊楠との関係は、熊楠のアメリカ留学前、和歌山松寿亭で杉村広太郎ら友人が発起人となり、送別会を行っています(延期となり10月26日に実施された)。その後杉村は上京し、英吉利法律学校(現在の中央大学)入学します。その後『和歌山新報』、『欧文反省雑誌』主筆を歴任する他米国公使館に入り、翻訳・通訳に従事していましたが、東京朝日新聞社に入社します。ロンドンに派遣されるなど国際的な活躍をしたジャーナリストです。

1923(大正12)年の関東大震災で杉村は二男・三男の二児を失い、翌年一家で千葉県の我孫子町(現 我孫子市)へ転居する。

現在杉村楚人冠記念館は、杉村が1924(大正13)年に設けた母屋を活用しています。杉村は我孫子を大変気に入り、便箋などの紙に文字やマークを押し付ける「刻印機」には、「The-Haven Abiko,Chiba-ken(安息の地、千葉県我孫子)」を使っていました。

館内は杉村が客人と語らった応接間や建設当時のガラスが残った廊下(景色が少し歪んで見える)など、ひょっこり家人が出てきそうな雰囲気があり大変興味深かったです。館内では夏休み特別展示「ジャーナリスト楚人冠ってどんな人?」(2025年9月21日まで)が開催されており、杉村の生涯を改めて知ることができました。

 

熊楠との関係を他にも紐解くと、三重県南牟婁郡御浜町引作の引作神社境内にある大楠です。この大楠は明治期に神社合祀令により、引作神社が合祀されたことで伐採の危機に瀕していました。それを知った熊楠は、杉村と柳田国男(当時国の官僚)へ応援を頼み、伐採を阻止しました。まだまだ熊楠と杉村については、紹介できるエピソードがあります。改めて両者の関係を明らかにしなければいけませんね。

手賀沼からの風が爽やかな我孫子でのひと時でした。

 

杉村楚人冠記念館

https://www.city.abiko.chiba.jp/event/shiseki_bunkazai/sugimurasojinkan/index.html

 

引作の大楠 2024年11月27日(南方熊楠記念館ブログ)

引作の大楠

杉村楚人冠記念館の外観
建設当時の手作り製法のガラスを残している。 邸園内にあった芭蕉。バナナに似ている。