熊楠鉄道に乗る

こんにちは閑話猿です。

熊楠の田辺からの鉄道乗車に関する話題です。かつて「陸の孤島」と呼ばれていた紀伊半島に鉄道が敷かれるようになり、和歌山・田辺間の鉄道が開通したのが、昭和7年(1932)年11月7、8日に両日開通式が行われました。柳田国男が大正2年(1913)の12月30日から31日に田辺の南方邸を訪問した際には、「大阪から人力車」で来たとあります。熊楠はバスやタクシーなどは否定的な目で見ていたようですが、鉄道には肯定的だったようです。

熊楠がこの鉄道を初めて利用したのは、昭和9年(1934)12月24日のようです(『南方熊楠 門弟への手紙上松蓊へ』 1990年)。この日熊楠は神島の国指定天然記念物にするための申請書を持参し、翌25日に藤岡和歌山県知事に申請書を手渡しました。それまでの県の天然記念物指定になってから記念に神島に上陸する者が後を絶たなかったため、保護のため一層強い歯止めにしたいと熊楠は考えていました。

この申請に必要な神島の総合調査は68歳の熊楠が陣頭指揮をとって行われました。

 

近くて遠い神島