関東大震災の影

こんにちは。閑話猿です。本日は9月1日です。今から98年前の大正12年(1923)に関東大震災が発生しました。当時、熊楠は田辺に住んでいましたが、大正3年(1914)から雑誌『太陽』に毎年連載していた干支にちなんだ論文(後の『十二支考』)の「鼠」は雑誌の編集方針の転換により没に、そして「丑」は書かれなかったという転機の日でもあります。

この当時熊楠が投稿していた雑誌に『土の鈴』という長崎県で発行されていたものがあります。この主宰となっていたのが本山桂川で、後に熊楠の投稿を再編し、東京神田で坂本篤が店主をしていた坂本書店から『南方閑話』として発行しています。

この本山桂川が大正12年(1923)8月末に職を探すため家族と共に上京、桂川は9月1日に「お札博士」として知られるフレデリック・スタール(Frederick・Starr)とお茶の水で会う予定を立てていたようですが、鹿島神宮の祭礼のポスターを両国駅で見たため、面会を反故にし茨城県へ向かいます。桂川自身は震災にあわなかったのですが、震災後における東京の状況を知り就職の望みが潰えたそうです。しかし、その一月後には沖縄に向けて民俗調査の旅に出て、翌年民俗学者のなかで初めて与那国島に渡りました。

 

この本山桂川が企画・発行し、熊楠も投稿していた雑誌『土の鈴』は本特別展で本日まで公開しております。

意外なバズりをした熊楠の描いたマンドレイクの公開も本日までです!

 

 

『土の鈴』表紙には児童画を採用している。

第13輯 熊楠の文章が掲載されている。

る。


坪内逍遙の話題も出ている。

このマンドレイク画もしばらく見納めです