熊楠直筆書簡購入について

この度、皆様からのご支援によって、長年市場に出ていた南方熊楠直筆の書簡を購入いたしました。その内訳は、雑賀貞次郎宛1通、宇井縫蔵宛6通です。

雑賀貞次郎(1884-1964)は地元田辺の新聞記者で郷土史家です。牟婁新報の記者であり、大阪毎日新聞田辺通信員を兼任します。熊楠と交流があり、週に一度は南方邸へ顔出し、熊楠もそれが楽しみだったと伝わっています。熊楠の信頼篤いこの人物は、『牟婁口碑集』(炉辺叢書)、『南紀雑考』、『追憶の南方先生』などの著書の他、昭和8年(1933)の『和歌山縣 田邊町誌』、昭和27年(1952)『田辺市誌』の編集も行っています。そんな熊楠と親密であった雑賀へ宛てられた大正14年9月6日の書簡です。額装されており、長さ約64センチの紙に書かれています。この内容は翻字されたものが『南方熊楠全集』第別巻Ⅰ 374-376頁にあるため、全集が刊行された後に流出したものと思われます。翻字と原本を改めて比較できる資料です。

そして今回最も数が多いのは宇井縫蔵宛書簡で、計6点を購入しました。宇井縫蔵(1878-1946)は和歌山県西牟婁郡岩田村(現上富田町)出身の植物・魚類の研究者です。明治38年(1905)頃から植物採集をはじめ、牧野富太郎に標本を送り鑑定をしてもらっていました。熊楠が牧野富太郎と交流をする際に間に立ったのが宇井です。

その宇井宛書簡の中で最も古いものは明治44年(1911)のもので、宇井が田辺に住んでいた頃に書かれたもので、切手も消印もありません。これは郵便局を介さずお手伝いさんなどが宇井の自宅まで届けたのでしょう。

また、最も長いものは昭和4年のもので、全長が約150センチメートルもあります。その内容は宇井が出版した『紀州植物誌』(昭和4年(1929))についてのもので、多くの植物の名前と分布の補足を熊楠が行っています。手紙の最初に「昨夜は顕微鏡での観察に没頭し、午後に起床したが用事が色々と多い」とありますが、150センチメートルも巻紙に書いています。また、宇井宛の書簡には牧野富太郎の名前も出てくるため、熊楠、牧野の関係を深めるためには重要な第一次資料となります。さらにこれらの書簡には熊楠が植物のイラストを描いているため、それだけでも興味深い書簡です。

現在これらの書簡の内容を読みすすめており、新年度中には原本と翻刻を合わせて展示する方針ですすめております。

雑賀宛書簡

雑賀宛書簡

宇井宛書簡6通

昭和4年の書簡

熊楠が描いた植物のイラスト

熊楠が描いた植物のイラスト